Nov 04, 2010
安心して効果の高い医療脱毛
医師の入会で手術を受けることができる医療脱毛は、効果と安心感で人気を集めています。施術の結果、万一お肌に問題があるが、医療脱毛の場合、その場で診察を受けることができますが、エステサロンで医療行為を行うことができないため、再度病院に行かなくてはなりません。医療用レーザーのサロンで使用される機械よりも出力が強いため、効果が高い点も人気の一つです。"赤ら顔で悩んでいる"という病院の広告看板を見たことがある。人の悩みも様々であるが、その時感じた。私は顔の血色がとても良いのではなく、赤ら顔、といえば健康そううらやましいと感じたからだ。しかし、赤ら顔の主人はそのような私のことを逆にうらやましいと感じるかもしれない。人の悩みというのは実に多様だ。
引き続き、東日本大震災の取材応援のために訪れた福島県からの報告です。
明治時代、「安積(あさか)開拓」のために東北・福島に入植した旧松山藩士の家が、福島県郡山市に残っていました。
松山藩士たちが福島にやってきたのは1882年。入植したのは現在の郡山市安積町牛庭です。当時の家は、ここから約7キロ北の「郡山市開成館」に「安積開拓入植者住宅(旧小山(おやま)家)」=写真=として、移築保存されていました。開成館には開拓当時の事務所や職員官舎なども移築・復元されており、全体が資料館になっています。しかし、ここも震災の被害を受けていました。訪れた時は「臨時休館」中で、残念ながら内部の観覧はできませんでした。
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小山家住宅は木造かやぶき平屋。入植した旧松山藩士の家族はこの家でどんな生活をしていたのでしょうか。そう思って郡山市役所にお世話をいただき、子孫の方に話を聞くことができました。
同市安積町牛庭で今も水田を持つ小山アヤ子さん(84)。移住してきた旧藩士から数えて4代目にあたります。1927(昭和2)年に生まれた時から、93年に開成館に移築されるまで、この家で暮らしました。とはいえ、写真のままのかたちではありません。初代から100年以上を経る間に、部屋を加えたり、廊下をつけたり、トイレを設けたりと、増改築を繰り返していました。開成館に移築する際、後世に付け足した部分をすべてそぎ落とし、初代が入植した時の姿に戻しています。
アヤ子さんが初代と直接、詳しい話をしたことはありません。2代目にあたる祖父母が、「苦労しておまえら(子供たち)を育ててきた」と聞かされていたといいます。
初代は夫婦と子供6人の8人家族で松山から入植。わずか2部屋と土間だけのこの家に住み、過酷な開墾作業に挑みました。「当時は湿地だったそうです。刀をくわに持ち替えて、体力も足りないから、それは苦労したと思います」とアヤ子さん。
安積開拓は、明治政府が、困窮した武士を救済するために始めた最初の国営事業。旧松山藩を含め、高知、鳥取、岡山など9藩から計約500戸2000人余が移住しました。しかし、つらい開拓作業のためでしょうか、この地から抜け出したり、農業以外に転身した入植者も多かったようです。10戸が入植したとされる旧岡山藩士は全員が開墾地から姿を消したといいます。
◇
「感謝です」
苦労して開墾を成功させた初代に対するアヤ子さんの思いは「感謝」の一言に尽きるようです。
ルーツである愛媛には、03年3月の彼岸に初めて訪れました。「腰と足を悪くしているので、急な階段の松山城に登れなかったのが残念でしたが、静かでいいところでした」と祖先の地に思いをはせていました。【松山支局長・関野正】
sekino-t@mainichi.co.jp
5月30日朝刊
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地域史や平和学習の観点から戦争遺跡を保存、紹介する市民団体「戦争遺跡保存ネットワーク四国」主催の「第2回戦争遺跡保存四国シンポジウム」は、最終日の29日、今治市南宝来町1の同市中央公民館で、八幡浜市の防空ごう跡や高知県の決戦陣地跡など、四国4県から遺跡の保存状況や課題などが発表された。【篠崎真理子】
八幡浜市の市民団体「幸会」の菊池勝徳さんらは、八幡浜第1防空ごうについて発表。1941(昭和16)年の太平洋戦争開戦前、朝鮮人労働者に作らせた、電灯やトイレ、水道などもある、当時四国で初めての本格的防空ごう。同会が扉や照明を付けるなど、行政の手を借りずに保存。状態も良く、市民の歴史探訪や小中学生の社会学習に役立てている。
また、大戦末期に米軍上陸に備えた高知県南国市の向山戦争遺跡「本土決戦陣地」について、同ネット高知の出原恵三さんが発表。県の発掘調査で坑道などが確認されているが、多くがコンクリートなどが使われていない素掘りで、艦砲射撃には持ちこたえられないとされている。出原さんは、「絶対に勝てない陣地であることからも、軍部の無責任さが分かる。こうした記録を抜きにして、日本近代史を理解することはできない」と訴えた。
5月30日朝刊
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