Jul 09, 2011

シミや紫外線の影響について

汚れにはいろいろな種類があるとされていますが、原因も種類によって異なります。それでも汚れの大きな原因と考えられているのが、紫外線です。紫外線を受け続けてしまうと汚れがやすくなるとされています。そして、紫外線が強いとされる海や山などの間では、紫外線の影響を受けるとされています。
私が学生時代にクラスの大きな点が、顔の女の子がいました。顔の造形はかわいいのにカマキリのためにもったいないという印象でした。そして学校を卒業して数年後、街で見かけた女性がどこかで見たことがあるという感覚を持つにも誰かわからない軒はものがありました。後でその人がホクロを取った聞いてフォーカスしてきました。
 金井啓子

 メディアと政治は、いつの世も、つかず離れずの関係だ。過去を知ることで、これからのメディアと政治の行方もわかるかも知れない。

 私がそんなことを感じたのは、『メディアの光景』(北野栄三著・毎日新聞社)を読んだ時のことだ。著者のことは直接存じ上げないのだが、テレビ局に勤務していた知人が「この本を読んでみたら」と送ってくれた。著者は、毎日新聞の大阪本社社会部を振り出しに、「サンデー毎日」編集部、毎日放送、和歌山放送などに勤務した経験を持つ。つまり、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど幅広いメディアの現場に身を置いていた人物である。

 この本は、オバマ米大統領が2009年9月9日に行った2つのスピーチから始まっているが、ごく最近のメディア状況を描いているだけではない。井原西鶴が『好色一代男』に描いた遊女夕霧の美しさが遠くに住む人々にいかに伝わったのか、関東大震災の翌年頃の毎日新聞と朝日新聞による部数100万部前後での競い合い、エド・マロー氏によるマッカーシズムとの対決、ウォルター・クロンカイト氏(いずれも著名な米TVジャーナリスト)のベトナム戦争をめぐる報道姿勢、1970年代初頭のソ連のテレビと新聞の関係、日米の政治家とメディアの関係、楽天・TBS問題…等々を含め、他にも実に幅広い話題が網羅されている。しかも、つい最近書かれた文章もあれば、1960年代から70年代に雑誌などに著者が書いた文章も転載されているのだが、全く古さを感じさせない。

 そんな中で、私の印象に特に深く残ったのは、メディアが政治といかに関わってきたかという箇所である。メディアの側からだけではなく、政治の側からもつながりを持とうとしてきており、双方向の関係といえる。

 そこには、毎日新聞の外信部長としてベトナム戦争報道で先駆的な存在だった大森実氏と、1960年代に駐日米国大使だったエドウィン・ライシャワー氏が描かれている。1965年に西側の新聞記者としてハノイに一番乗りした大森氏の記事が、北ベトナムの模様や反米感情の強さを日本国民に伝えるようになり、「自分の駐在している日本の新聞記者が『敵国』のハノイから、『向こう側』のニュースを大量に送ってくることに対して、頭に血が上っていた」(本文より)大使は、「なんとかしなければ、自分があぶない」「米国の官僚としての生命が断たれる」と考えた。そこで、大森氏とならんでベトナムから多くの記事を送っていた秦正流外報部長を擁する朝日新聞には取材に関するさまざまな便宜を図り、毎日新聞のみを批判することによって、メディアを分断するという作戦に出た。結果的に、毎日新聞は反論もせずに大森氏を帰国させ、まもなく同氏は辞表を出すことになった。

 このように、政治家や官僚が自分にとって都合のよい情報のみを流してくれるメディアには話をするが、批判的なところに対しては取材に応じない、という事態は今でも全く変わらずに、国政・地方自治体などさまざまなレベルで目にする。

 また、この『メディアの光景』が政治とメディアの関係を描いた話でもうひとつ興味深かったのは、ケネディ・ニクソンの両元米大統領、田中角栄・福田赳夫の両元首相の対比である。著者は、メディアに愛されたケネディ氏とメディアと対立したニクソン氏、メディアに対して身構えなかったためにメディアにとけこみやすい感覚を持っていた福田氏と、メディアを信頼せずメディアに敗れることになった田中氏、という切り口で描いた。

 「教訓その一。子供を政治家にしようと思ったら、毎朝、新聞を読ませるべし。(中略)間違っても子供の目に政治家そのものを直接見せてはいけない。それは、政治家というものに失望させてしまうからという意味ではない。政治家の行動だけで政治が完結する、というような誤解を早くから育ててしまうからである。それでは政治がどのように社会に伝えられるかが見えない」という著者の言葉は示唆に富んでいる。いま政治不信に陥っている国民の厳しい目にさらされている政治家たちにも聞かせたい言葉だ。

 メディアの歴史に学ぶ。「何を今さら」「そんなことはすでに知っていて当たり前の知識だ」「自分は常に歴史に学んでいる」などとおっしゃる方も多いかも知れない。しかし、私自身は、メディアで起こる新たな変化に目を奪われていた時に、歴史上(というほど古くもないものも含め)の出来事を知って、現代にも通用する知恵に目を開かれた思いをした。メディアは変化の勢いがある一方で、閉塞感にも苛まれている。ひとつの打開策として、過去に学ぶのも悪くはないと考えているのだが、どうだろうか。

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Posted at 18:55 in Politics | WriteBacks (0) | Edit
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